こうして、私は司法書士試験を諦めました

司法書士コラム

こんにちは。
クレアール司法書士講座受験対策室の関口です。

10月3日、令和6年度司法書士試験(筆記試験)の合格発表がありました。

受講生の方からも多くの合格報告をいただいており、私たちとしても大変嬉しく思います。
合格された皆さま、本当におめでとうございます。

合格のご報告を受けると同時に思い浮かぶのが、惜しくもあと一歩で合格には至らなかった方々のことです。実際、合格まであと数点だったとのご報告もいただいています。

私もかつては受験生でした。時間はかかってしまいましたが、令和4年度の司法書士試験に、5回目の挑戦で合格することができました。

実は「4回目の不合格」という現実を突きつけられたとき、私は一度、司法書士試験から完全にドロップアウトしました。「司法書士」という言葉を見たり、聞いたりするだけで、苦しみがこみあげてくる期間が長く続きました。

今回お届けする内容は、司法書士試験を諦めたことによって、不思議と道が開けたという私の受験記録です。具体的な学習法などについてはほとんど触れていません。「こういう人間もいるんだなあ」と、あくまでも体験談のひとつとして捉えていただければと思います。

自分が本当にやりたいことは何だろう?

私は、大学卒業後、地元である茨城県内の市役所に就職しました。市役所の職員としての生活もなかなか刺激的で、日々やりがいを感じていましたが、一方で、心の中では「長くいる場所ではないな」とも感じていました。世間一般に公務員と聞いてイメージされるように、決められたことを淡々とこなす部分も少なからずあったからです。

本当にやりたいことを仕事にしないと、今後の人生を後悔することになる。

このように考えた私は、公務員となって3年目の1月、当時担当していた成人式の開催を最後に、退職することにしました。

当時は25、6歳の若さでしたが、退職を決めるまでに、自分の人生を自分なりに思い返しました。

自分が本当にやりたいことは何だろう

そこで出した結論が、教育関係の仕事に従事することでした。

大学生だった4年間は、学習塾の講師として、主に中学生を教えていました。授業で使用するようにと指定された教材はあったのですが、その出来に全く納得がいかず、毎回の授業のために、相当な労力と時間を割いてオリジナルのプリントを作成していました。正直なところ、決してそう高くはない時給で働くアルバイトが、ここまでする必要はまったくありませんでした。

もちろん生徒を思っての部分もありましたが、本音を言えば、自分のためにやっている部分も大いにありました。自分がやっていて楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

自分にとっての天職は、教育だ。

そう思った当時の私は、資格スクール、それも司法書士講座の講師になることを目標としました。司法書士を選んだ理由は、当時から法律に興味があったこと、そして目指すに値すると思える難易度であったことです。大学生の頃と同じように学習塾の講師でもよかったのですが、今まで経験したことのない領域で勝負したいという気持ちが強くありました。

こうして市役所を退職した8か月後に迎えた1回目の司法書士試験。結果は、午前の部、午後の部ともに、基準点に到底及ばず惨敗でした。高校受験や大学受験でもここまでダメという経験はなかったので、その結果に愕然としました。

そして、ここからが長い長い受験生生活の本当のはじまりでした。

長い長い受験生活のはじまり

退職後から1回目の受験までの8か月間は、専業受験生として勉強していたのですが、司法書士の実務を経験してみたいという気持ちがしだいに強くなり、隣の市にある司法書士事務所に就職しました。「実際の戸籍ってこうなっているんだ」、「登記識別情報通知(いわゆる権利証)ってあんまり大事そうに見えないな」「実際の契約書って難しそうなことがたくさん書いてあるな」などと、些細なことが新鮮に思えました。

実務をやってみると「楽しいな」と感じました。その一方で、現実を思い知らされることもありました。端的に言えば、「お金」の問題です。私のような地方の司法書士事務所で、資格も経験もない人間は、やはり条件も厳しくなりがちです。社会経験が数年しかなく世間知らずだった当時の私は、「公務員って恵まれていたんだなあ」とその時にはじめて知りました。

そして、受験生生活の間、この「お金の問題」は常に私に付きまとうことになります。

皆さんはご経験ありますか?生活をどんなに切り詰めても、銀行口座の残高がどんどんと減っていく経験です。私も公務員を退職する時には、司法書士試験の難易度は分かっていたので、「3年くらいは何とかなるだろう」と思える金額を貯金していたはずでした。しかし、その読みは完全に甘く、驚くスピードでお金は外へと出ていきます。

この頃からだったと思いますが、自分自身に異変を感じ始めます。端的に言えば、何をやっていても、楽しくない、面白くない感覚に襲われるようになりました。かつてはあれだけ好きだった友人との飲み会や旅行も、まったく楽しめなくなりました。起床してから就寝するまで、常に試験とお金のことが頭から離れません。

このような状態なので、夜もなかなか寝付くこともできませんでした。翌日は眠い目をこすりながらなんとか仕事をこなし、帰宅したときには勉強する気力・体力ともに完全に削られてしまっている。早めに眠りにつこうとしますが、勉強できていない後ろめたさはあるので、やはりすぐに寝付くことができない。この繰り返しでした。

同級生たちは、会社で大きなプロジェクトを任せてもらえた、役職がついたなどと話している中で、自分は司法書士の補助者として、日々生活を切り詰めながら暮らしている。この状況に何とも言いようのない焦燥感を覚えました。本当に情けない話ですが、「公務員をやめなければよかったな」と何度も思いました。

そして、もうひとつ感じたのが「自分への失望」です。私は、他人のことなどは気にせず、自分が思うままに生きていくことができる人間だと思っていました。しかし、実際はそうではありませんでした。人並みの幸せを得たいと考えるごくごく普通の人間だったのです。

そのような中で迎えた2年目の司法書士試験。午前の部の択一式問題は何とか基準点を超えました。すごく嬉しかったのを覚えています。しかし、午後の部は、択一・記述ともに惨敗。

3年目は、択一で午前と午後ともに基準点を超えて、初めて記述の採点をしてもらえましたが、総合点を見ると、合格まで15点以上の差がありました。

3回目の不合格という現実を目の当たりにして、「次を最後にしよう」と心に決めました。正直なところ、自分が今の生活に耐えられるのは、次の試験までだろうとの思いがありました。

こうして、私は司法書士試験を諦めました

こうして迎えた4年目。過去最高の仕上がりです。試験が終わった後、今までにない手ごたえを感じました。解答速報を見ながら、自己採点をします。択一式は、午前の部と午後の部ともに30問前後、記述式も大方枠を埋めることができた。

おそらく受かっている!!!

確かな感触がありました。

当時の私は、「ついに夢だった司法書士講座の講師になれる!」と興奮していました。筆記試験の合格発表を待たずに、ある資格スクール(クレアールではありません)の求人に申し込み、とんとん拍子に内定をもらいました。今思えば、完全に浮かれていました。

迎えた結果発表の日。私の受験番号は、どこを探してもありませんでした

成績通知書を見ると、記述式の基準点に2.5点足りず不合格であることがわかりました。総合点では合格点を取れていただけに、余計に悔しさが募りました。

そして、内定をもらった資格スクールに結果を報告すると、内定は取り消しになりました。

これで私の司法書士試験への思いは、完全に潰えました。

一度合格していると確信していたところからの落差はすさまじく、今までにない脱力感に見舞われました。「自分には縁がなかったのだ」と言い聞かせました。

今まで使用していたテキストや問題集など、共に闘った勉強道具一式を段ボールに詰めて実家に持っていき、母にお願いしました。

悪いけど、捨てといてくれる?

転機は唐突に

司法書士試験への思いを断ち切り、「次に生きていく場所」を探していると、資格スクールの求人を見つけます。資格も持っていない人間なんか相手にされないだろうと思いつつ、コンタクトをとってみました。

2022年4月、クレアールの司法書士講座の担当として勤務を始めます。今だから言えますが、「司法書士講座ではなく、どうか別の講座を担当させてもらえないかなあ」というのが当時の正直な気持ちでした。

しかし、自分が思い描いていた形ではありませんでしたが、教育業界に携わるようになったことは、結果として大きな転機となりました。

司法書士講座の担当者である以上、当然のことながら、受講生の方から日々学習相談を受けます。司法書士試験の合格を目指している受講生の方を相手にしているのにも関わらず、「自分は逃げていていいのか」と思い始めます。

そして、クレアールへの転職のほかに、もうひとつ私にとって転機となることがありました。それは、認知心理学との出会いです。とある書店で偶然手にした本が、『使える脳の鍛え方 成功する学習の科学(NTT出版)』ですこの出会いは、私の人生を大きく変えてくれました。

内容としては、多くの人が好んで実践している学習法は、認知心理学の研究から、実は効率が悪いこということが書かれていました。例えば、次のような学習法です。

・テキストの再読
・同じ科目に集中して取り組む
・線引きを使い分ける

私も当然のようにこれらの学習法を取り入れていました。特にテキストの再読は、私が好んでいた学習法でした。過去問を解くよりも、知識が網羅的に記載されているテキストの方が効率がいいだろうと思っていました。

そして、効果的な学習法は、ときに人間の直感には反することも分かりました。後述する「交互配置」は、その典型例です。

(ひとこと)
学習効率の悪いテキストの再読とは、ただ漫然と文字列を追っていくことを意味します。ここで、強調しておきたいのは、テキストの再読が不要ということではなく、むしろ重要であるということです。読み方を少し工夫することで、学習効果を格段に上げることができます。例えば、テキストを数ページ読んで一度立ち止まり、どのようなことが書かれていたか思い出せば、立派なアウトプットになります。効果的な再読の方法について詳しく知りたい方は、『スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長が教える 脳が一生忘れないインプット術(あさ出版 )』がおすすめです。

正直なところ、私は人の意見を素直に聞き入れる人間ではありません。「自分のことは自分が一番わかっている」と考えるタイプです。しかし、この本(『使える脳の鍛え方~』)に書かれていることは、不思議とすんなりと受け入れることができました。

科学的な裏付けがあり、納得できる内容だったということも大きかったでしょうが、それ以上に「4回目の不合格」を経験したことが大きかったのだと思います。自分なりにこれだけやってダメだったんだから、学習法を一から見直す必要があるだろうと、当時の私は素直に考えることができたのだと思います。

そして、司法書士試験の学習を再開するにあたって、自分なりに心に決めたことがありました。

それは、認知心理学の知見に基づいた効果的な学習法を取り入れて、令和4年度司法書士試験に合格すること。自分をある種の実験台にしようと考えました。

そう思い立った私は、実家の母におそるおそる尋ねました。

この前渡した司法書士のテキストとかってまだ残ってる?

私の期待通り、母は捨てずに保管してくれていました。

5回目の挑戦

こうして試験勉強を再開しました。
特に意識したことは、次の点です。

・テキストを読むときも、問題を解くときも、学習事項を自分の力で思い出すことを心掛けること(検索練習)
・復習は、間隔を空けて(期間を空けて)繰り返し行うこと(分散学習)

しかし、取り入れたくても取り入れられない学習法がありました。例えば、複数の単元を織り交ぜて解き進めていく学習法(交互配置)です。市販の過去問題集をバラバラにし、シャッフルして解いていましたが、とうとう管理しきれなくなりました。

この経験から、認知心理学の知見に基づいた学習法が広まらないのは、取り入れたくても、取り入れられないことも、理由のひとつではないかと考えました。そして、「効果的な学習法を簡単に取り入れることができる学習ツールを作ることができないか」とふと思い立ちました。これが、後のCROSS STUDYの開発へとつながっていきます。

勉強を再開しましたが、本試験までは時間がありません。それでも、できる限りのことはしようと気持ちは奮い立っていました。日々の仕事でどんなに疲れていても、通勤電車での往復3時間だけは脇目も振らず試験勉強に充てました。試行錯誤するうちに、途中で睡魔に襲われないよう、電車に乗っている間はずっと、先頭車両の隅に立って勉強することにたどりつきました

とにかくできることは、全てやり切りました。

迎えた5回目の挑戦の日。再開してからの学習期間は短かったですが、今までにない自信がありました。

自分の受験番号を確認したあの瞬間は、今でも忘れることができません。

以上が、私の受験記録です。
いかがでしたでしょうか?

あまり自分のことは語るのは得意ではないのですが、できる限りさらけ出して書いたつもりです。

この記事をお読みになった方もお気づきになったと思いますが、今思い返せば、受験期間中の私は、視野が非常に狭くなっていたと言わざるを得ません。

―待遇に納得できなければ、他の司法書士事務所を探せばいいのに。
―本当に司法書士試験に合格しないと、やりたい仕事ができないの?

今ならそう思えますが、当時の私には、その考えはありませんでした。

司法書士試験に合格しなければ、道は開けない

ずっと、そう思っていました。その思い込みが、私自身を長らく苦しめていました。

一般的に司法書士試験に合格するには、3,000時間以上の学習が必要と言われます。正確な統計は今まで取られてことはないと思いますが、私自身の経験や合格された方のお話を聞くと、それほど誤った数字ではないと思います。

しかし、この3,000時間は、あくまでも講義を視聴したり、テキストを読んだり、問題を解いたりといった、誰が見ても「学習している」と分かる時間です。その裏には、受験勉強に行き詰まり思い悩む時間や、本当に合格できるのかと不安な夜を過ごす時間もあるはずです。そう考えると、到底3000時間という数字におさまるはずがなく、受験勉強にあたった期間そのものが、学習時間であると言うこともできるのではないでしょうか。

それだけの時間を受験勉強に向けるわけですから、文字通り「人生をかけた挑戦」です。

来年度以降の試験に合格するために、今後も学習を続けるか決めるのは、言うまでもなく皆さん自身です。そして、続けることが正解だとも思いません。しかし、「もう1度頑張ってみよう」と思えるのであれば、皆さん自身が心の底から信頼できるスクール、講師、教材を選択し、合格を掴み取ってもらいたいと思います。

私の体験談が少しでもお役に立てるのであれば幸いです。


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