「クレアールの個性的な方針に共感!」

眞山 徳人さん

はじめに

11月7日、掲示板に自分の受験番号と名前を見つけたときの感激を、今でも鮮明に思い出すことができます。4回目という、お世辞にも短期合格とはいえない受験生活ではありましたが、その間の苦労が、一気に報われたと感じた瞬間でした。
この5年間の自分の勉強のしかたを振り返ると、反省すべき点は山のようにあります。私などがこのような体験記を書くこと自体、おこがましいことこの上ないですし、とくに短期合格を目指してこの体験記を読んでくださっている方にとって、私のような長期受験生の記述がどれほどの参考になるかは分かりませんが、私なりに考える受験への臨みかたを、できるだけお伝えしようと思います。

・ 会計士を目指した理由

私が「公認会計士」という職業を知ったのは、大学の簿記の講義でした。「日商簿記検定3級を取得したら、期末試験の成績を優遇する」というその講義を受講して、とりあえずと思い独学で3級、2級を取得した際に、簿記そのものに対する興味が深くなり、「どうせならとことんやってみようかな」と思って専門学校のパンフレットを集めました。
公認会計士の仕事は実に多岐にわたるものですし、非常にやりがいのある職業だということは、すでに勉強を始めている方であれば異存のないところでしょう。そういう意味で、あの時簿記に出会った自分は、とても幸運だったと、今になって強く感じています。

・ クレアールを選んだ理由

知人に、他の試験のためにクレアールに通っていた人がいて、その人に紹介してもらってガイダンスを受けました。あくまでその時は、いくつかある専門学校のうちの一つ、という位置づけで考えていて、クレアールが個性的な方針を掲げていることなども、まったく知りませんでした。ですから、ガイダンスで聞いた非常識合格法の概要はとても目新しく、驚きの一言に尽きました。かねてより学習塾の講師バイトをしていた私は、「他人に教えられるように頭にいれる」という作業がとても有益な勉強につながると実感していたため、とくに「スピーチ」という勉強法には共感を覚えました。

実際のところ、どこの専門学校に行っても、しっかりと勉強すれば合格は十分可能であると感じています。だからこそ、学校選びのポイントは、規模や設備の充実度などだけでなく、「自分に合っているかどうか」という観点が大事なのではないかと思います。

・ 方法論と精神論

さて、来年度から試験体系が変わってしまうため、科目ごとの勉強方法を詳しく書くことよりも、総体的にどのような勉強方法が望ましいかを論じたほうが有用だと思われるので、ここでは巨視的な観点から学習方法について考えていきたいと思います。

会計士試験に限らず、様々な試験において、「受験は方法論ではない。努力したものが受かるんだ」とか「精神論で受験を語るな。勉強法さえしっかりしていれば受かるんだ」とか、いずれも良く聞かれる言葉だと思います。しかし、私から見れば、このどちらの発言も著しくバランス感覚を欠いていると言わざるをえません。というのも、合格のためには、方法論と精神論、いずれも同じくらい大きなウェイトを占めるからです。すなわち、「適切な勉強を(ココが方法論)、高い目的意識を持って(ココが精神論)継続的に行うこと」こそが、合格のための勉強であるということになります。そしてクレアールでは、「方法論」としてのカリキュラムがあり、「精神論」としてのセミナーや塾やゼミがあり、それらを総合したノウハウが「非常識合格法」なのだと思います。私自身、この1年間の勉強は、「クレアールを最大限に利用する」ということを主眼においており、そのうえで、これから述べる具体的な方法を実践したということになります。

自分ひとりで方法論と精神論の両方を維持するのは、不可能とは言わないまでも非常に難しいことです。ですから、これから合格を目指す方には、まず非常識合格法のノウハウを最大限に活かす、ということが合格のための近道である、と是非とも肝に銘じていただければと思います。

・ 方法論について

さきほど、「科目別勉強法は書きません」というようなことを述べましたが、これには試験制度が変わった、ということ以外にも理由があります。それは、「勉強法は、勉強を続けることで初めて確立できるのであり、勉強を始める前から勉強法をあれこれ思案しても、それほど意味が無い」という実感を、長い受験生活で得たためです。

たとえば、簿記などの計算分野については、「1日に1問解きましょう」という勉強法がまことしやかに伝わっていると思います。たしかに、計算力を維持するためには、一定のペースで問題を解き続けるのは大事なことであり、そういう意味でこの勉強法は必ずしも誤っているわけでもありません。ただし、すべての受験生にとって「1日1問」というペースがすべからくあてはまるか、と聞かれたら、当然答えは「NO」になるはずです。計算が非常に苦手な人であれば、1日に2問も3問も解かなければいけないでしょうし、計算が得意で、法律科目がとても苦手だ、という人であれば、計算問題は各科目を1日おきにローテーションし、法律科目の勉強時間を少しでも確保する必要があるでしょう。

つまり、勉強法というのは自分の得手不得手だとか、活用できる勉強時間だとか、あるいは「朝型」「夜型」などのスタイルだとか、そういった自分自身の状況に応じて大きく変わってくるわけです。そして、自分だけの勉強方法を確立するには、何はともあれ、まずは机に向かって(スピーチの場合は机に限りませんが)一定量の勉強をこなしてみることです。そして、徐々に自分の状況を見極めながらそれをカスタマイズしていく、というスタンスでしか、本当の意味で、正しい勉強法にはならないのではないかと思うわけです。

むろん、その「まず机に向かう」という段階では、著しく間違った勉強をしてしまわないためにも、他人の勉強法は大いに参考にすべきです。しかしそこからは、あくまで自分で考えるということ、他人に流され続けないということが、大事になってきます。

なお、私の体験記では「勉強時間」は敢えて書いていません。自分にとって「何時間勉強するか」ということは何ら意味が無く、「どの問題を解けるようにするか」「どの論点を覚えるか」ということのほうが大事であると思っていたので、そもそも自分が何時間くらい勉強していたか、ということを把握していなかったからです。一応、大学を卒業してからは、勉強のための時間を1日あたりだいたい10時間は確保していました。ただ、私にとって10時間というのは、「最低10時間やらなくっちゃ」という意味合いのものではありませんでした。むしろ、そのようにたっぷり時間が取れるのであれば、例えば簿記の処理でつまづいたときなどに「今日はあと8時間以上残っているんだから、ゆっくり解決しよう」というように、腰を落ち着けて勉強をするというのも、一つの正解だと思うのです(当初簿記が苦手だった私は、実際そういうシチュエーションが多々ありました)。逆に言えば、計算力が定着した4月以降は、夕方くらいには一日のノルマを終えて帰宅する、ということもしばしばありました(ちなみに、合格祝賀会で「眞山さんはいつもすぐ帰ってましたよね…」とたくさんの人に言われました 笑)。石井先生の本にある記述を借りれば「間に合うなら1時間でも良い、間に合わないなら10時間でも良いからやれ」ということになります。

もちろん、人によってやり方は様々で、1日分の時間割をきっちり区切って合格された人もたくさん居ると思います(というより、ソレが大多数を占めると思います)が、そのようなきっちりした計画を立てることが唯一絶対のスケジューリングではないのだ、ということを言いたいがために、自分の例を挙げさせていただきました。

・ 精神論について

先に述べた方法論が、車の本体であるとすれば、精神論はそれを動かすための燃料といってもいいのかも知れません。高いモチベーションを維持するということは、簡単なようで極めて難しいことです。何を隠そう、私の受験生活が長引いたのも、モチベーションをコントロールできないという面での弱さに、最大の原因があると自覚しています。

シビアなことを言うようですが、モチベーションを維持するために必要な気持ちは、初学者と上級者で区別されると思います。初学者であれば「絶対に一発で受かるんだ」という気持ち、上級者であれば「次落ちたら、しゃれになんねえぞ」という危機感が、机に向かわせているのではないでしょうか。そしてそれらのモチベーションが低下する理由は、初学者であれば「日に日に進んでしまって難しくなる講義と答練についていけなくなること」であり、上級者であれば「去年と同じような講義と答練に嫌気がさすこと」です。ここまで分かっていれば、とるべき対策は少しずつ見えてきます。それは、「初心を忘れないこと」です。

石井先生の本で、「勉強は、明・楽・陽・開である」ということが書いてあったかと思いますが、これはまさに、私たちが受験勉強を始めた直後の気持ち、そのものですよね。こういう気持ちを、ことあるごとに思い出して勉強するということが、モチベーションを維持する最大の薬になると思います。ただ、ココで勘違いしないで欲しいのは、「楽」という言葉のニュアンスです。これは「らく」ではなく、あくまで「たのしい」という意味合いで用いているわけですから、勉強が苦しいときに、逃げ出す口実としてこの「楽」を引き合いに出すのは大間違いです。「楽」というのは「らくちんな勉強で妥協すること」ではなく、「苦しい勉強の向こう側にあるたくさんの『楽しいこと』を心待ちにして、勉強をつづけること」だと思うわけです。

試験制度が変わったあと、合格率が同推移するかは予想できませんが、旧制度の状況で言えば、公認会計士試験は1割にも満たない人間しか合格させてくれない試験でした。裏を返せば、9割の人が涙をのむ試験です。引き続ききついことを書きますが、苦しさから逃げるために妥協した勉強で、その上位1割以内に入ろうということ自体、甘えた考えだと思いませんか。一部の天才を除いて(いや、むしろそういう人ほど努力を惜しまないのですが)、合格者は皆、こういう苦しい時期を、歯を食いしばって走り続けているわけです。講師の方々も、苦しいのを百も承知で「ちゃんと覚えてきてください」といっているのです。おそらく、この体験記が読まれる時期は、応用期が佳境を向かえ、講義、答練のペースももっとも速い頃だと思います。ここを乗り切れば、先ほど挙げた「楽」が一気に近づきます(気休めではなく、体験談です)。その「楽」を目指して、ぜひともんばってください。

・ 受験が長期化している人へ

私も5年という長い期間を受験に費やしてきました。今になって振り返ると、この5年間は、十分に価値のあるものだったと思います。ただ、5年間の全てを全力で駆け抜けたか、といえば当然、「NO」です(でなければ、もっと早く受かっていたと思います)。たくさんの無駄な時間を、過ごしてきました。ただ、そういった過ぎたことをくよくよ考えても仕方がありません。過去の失敗は、すべて「埋没原価」なわけで、これからやるべきことの選択に影響を与えるものではないからです。

そして、受験が長引いてまでも会計士になることを諦めていない皆さんは、それだけ会計士に対する思い入れが強いのだと思います。私もそうでした。すでに実力のある方に向かって、今さら「がんばれ」などと言うことはできません。言わせていただくなら、「あと少し、我慢してください」ということに尽きます。実りの日は必ず来ます。走ることを、やめなければ。

・ 最後に

ここまで書いて、自分でこの体験記を読み返すと、言った自分の耳にタコができるような思いに駆られます。冒頭に書いたとおり、自分の勉強は他人に自慢できる内容のものではないからです。ここで書いたのは、あくまで自分が受験生のときに描いていた「理想的な勉強の仕方」であり、完全にそれを実践できてはいなかった面も、多々あるということは最後に申し添えておきます。それでも皆さんの受験勉強の一助になるのであれば、こんな幸いなことはありません。

さて、努力が実を結ぶという意味で、「結実」という言葉が良く使われます。これはむろん、果実が秋に実ることからきた比喩的な言葉です。私も曲がりなりにも努力を続けて、ようやく実を一つつけることができました。しかし、ここにたどり着くまでの間に、私という樹に水をやり、堆肥を与えてくださったたくさんの方々の存在がなくしては、この実がなることは絶対になかったと思います。そういう意味で、「自分で合格した」というより「皆さんに合格させてもらった」という意識のほうが、ずっと強くあります。石井先生、五十嵐先生、平林先生をはじめとするクレアール講師の先生方。ゼミの小林先生、蕨先生。事務局の方々。共に学んでくれた受験仲間のみなさん。辛いときに励ましの言葉を下さった友人のみなさん。そして何より、5年もの長い間にわたり、くすぶり続けた私を信じて支え続けてくれた両親に、心から感謝を述べたいと思います。本当に、本当に、どうもありがとうございました。